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ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ

 今回は「ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ」を書こうと思います。

 全国ハイ・タク連の副会長は「新年賀交歓会」の開会式の挨拶でドイツの哲学者ゲーテの「ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ」という言葉を引用して、「ミネルバは知恵の神。梟はその使者。黄昏の様に環境が大きく変わる時は偉大な知恵が必要だ。・・・タクシー業界も大きな時代の変革期に有る。・・・」と述べています。

 要は、タクシー業界は大きな変革の時期に有るという事が言いたかったのでしょうが、氏は「ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ」をどうゆう意味で引用しているのかが疑問に思います。

 先ず、「黄昏」という言葉が使われていますが、「黄昏」とは比喩的に使うと「盛りを過ぎ、勢いが衰えるころの意」になります。梟はご存知の通り夜行性の為、夜が近くならないと飛び立つことができません。又、ミネルバは知恵の女神で梟はその使者だそうです。

 これを基に考えると、知恵の神のミネルバの使者の「梟」は、「盛りを過ぎ、勢いが衰えるころ」に飛び立つ事になります。要は、一つの時代が終わる黄昏の時に、ミネルバは梟を飛ばした事になります。それまでの時代がどういう世界であったのか、如何して終わってしまったのかをミネルバの使者の「梟」に統括させた事になります。

 氏は今のタクシー業界を「黄昏時」と思っているのでしょう。前述した様に「黄昏」は、“既に盛りを過ぎ、勢いが衰えるころ“になるので、氏の言葉を借りると現在のタクシー業界は「変革」の時では無く、「盛りを過ぎた時期」という事になります。

 「梟」は活動時間のはじまりである黄昏に飛び立つように、時代の束縛から解き放たれ、新しい知恵を求めるためだ、という解釈もあります。ヘーゲルは哲学者なので、本来は「哲学はもともと、いつも来方が遅すぎるのである」と言っています。換言すれば「現実が現実形成過程を完了して、自らを仕上げたあとで初めて、哲学は時間の中に現れる」としています。よって、「ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ」は哲学に関した言葉です。

雑に纏めると、「哲学は現実が成熟し、その上で知的理解ができてくるもの」ということらしく、要は、哲学は現実の理解に視点が置かれ、理解も形が見えてきた後にやっとなされる業、ということを表わした言葉。」の意味の様です。

 タクシー業界は「黄昏時期」では無く、盛りを過ぎ勢いが衰えるどころか「衰えきった時期」の様に感じます・・・が?草。

 何も「ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ」を持ち出さなくても・・・草

 今回も、クッソつまらない話でした。てへぺろ(・ω<)

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