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タクシーの『お・も・て・な・し』

 今回は「タクシーの『お・も・て・な・し』を書こうと思います。

 このタクシーの「おもてなし」って何だと思います。それは日本のタクシーの自動ドアの事になります。海外だと客がドアを開け閉めするのが通例ですが、日本では乗務員が遠隔操作で自動開閉する方式が定着しているため、初めて来日した外国人の多くが戸惑ったり、驚いたりするのがタクシーのドアだそうです。草

 タクシーの自動開閉ドアを開発したのは愛知県のトーシンテックという会社で年商23億円の中小機械メーカだそうで、国内で約9割の市場シェアを現在まで握り続けているそうです。

 このトーシンテックという会社は、1959年(昭和34)に東京都港区芝田村町に本社を置き、商号を東進エアードア株式会社として創業したそうです。 タクシー用オートドアを生産開始し1962年(昭和37)に本社ならびに工場を名古屋市に移転したそうです。2020年(令和2年) 4月現在の従業員数は115名だそうで、115名で全国の9割のタクシーの自動ドアを製造している事になる様です。

 開発当時は、タクシー乗務員は顧客サービスの一環として、利用客が乗降する際、いちいちクルマから降りてドアを開け閉めすることが多かったそいで、客がドアを開閉すると、後続車との接触事故などトラブルが起きやすくなるとの懸念もあったらしいそうです。

 翻って乗務員の方にとっては、客が乗降するたびにクルマから降りてドアを開け閉めするのはかなりの重労働になり、開発者は「もし、遠隔操作で簡単にドアを開閉できる装置を開発すれば、運転手の負担が大幅に軽減できるし、安全対策にもつながる。タクシー会社も競って導入してくれるのではないかと考えたそうです。

 そこで発明家だった人と協力し、試行錯誤の末、エンジン内の負圧を利用する自動開閉ドアを開発し、
1959年秋には専門会社、東進エアードア=後の東進物産からトーシンテックへと社名変更し現在の会社を創業し、タクシー会社や自動車メーカーなどへの売り込みを始めたそうです。

 そうして大手のトヨタ自動車に本格的に営業攻勢をかけ始めましたが、期待に反しタクシーへの導入は思うように進まなかったそうです。

 風向きが変わったのは、1964年にアジアで初の五輪が東京で開催された事の様です。要は、海外から大勢の外国客や選手団、大会関係者らが日本にやって来ることになるので、「日本をアピールできる絶好のチャンスと捉え、タクシーに自動ドアを導入すれば、『良いおもてなしサービス』になるし、運転手も楽に乗客の安全に気を配ることができる」と、日本交通をはじめ大手タクシー会社が相次いで導入を始めたそうです。又、タクシー業界の労働組合に水面下で導入を働きかけたことも奏功したそうです。

こうして業界内のサービス競争に火が付き、タクシー車両への普及が一気に加速。自動開閉ドアは瞬く間に全国のタクシー車両に広がることになりました。今回のオリンピックも昔のオリンピックを通して日本の「おもてなし」の心を世界にアピールした格好となった様です。

換言すれば日本のおもてなしの心は滝クリの専売特許の「お・も・て・な・し」が最初では無く、本家はタクシーの自動ドアに有った様です。 要は、タクシーの自動ドアが「お・も・て・な・し」起源の様です。

最初に誕生したのはバキューム式で、エンジンの燃焼室に空気を引き込む多岐管の内部で発生した負圧の力を取り出し、シリンダーやドアの支柱を動かす仕組みになるそうで、手元のレバーを操作するだけなので、運転手は座ったままで楽に後部座席のドア(左側)を開閉できるます。セドリックのブロアムやコンフォートについている車に乗った事があります。

1967年にはテコの原理を利用した手動式も登場し、運転手が小さなレバーで金属棒を動かしながらドアを開閉する現在最も多く使用されている仕組みで、突起部分が多い構造なので狭い車内に設置するのは大変な様ですが、コストがバキューム式の半分程度に抑えられるメリットがあるだそうです。

兎に角、1964年のオリンピックも2020年のオリンピックも日本の「おもてなし」の心が世界に発信されるのでしょうか?って言っても、今回は外国人が入国出来ない様なので・・・・おもてなしは・・・・不発?

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