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令和おじさん

 今回は「令和おじさん」を書こうと思います。

 昭和天皇が崩御した30年前の1989年、「平成」を発表したのは当時の小渕恵三官房長官で、元号発表の記者会見の印象から、「平成おじさん」と呼ばれたのが記憶に有ります。

 小渕官房長官は地味でしたが、元号会見をきっかけに大化けして総理大臣まで上りつめました。「平成おじさん総理大臣になる」です。4月1日に新元号「令和」を発表する任を務めたのが菅官房長官で、平成を発表した小渕氏になぞられ「令和おじさん」と呼ばれて一躍世間の注目を集めた様です。

 菅官房長官は1973年に法政大学法学部を卒業し、社会人になり就職しましたが1975年に衆議院議員「故小此木彦三郎」の秘書となりました。話は小此木氏に代わりますが、小此木氏は早稲田大学文学部哲学科卒業後、横浜市会議員を経て、第32回衆議院議員総選挙で旧神奈川1区(定数4)から出馬し初当選し、その後、1983年に第2次中曽根内閣の通商産業大臣として初入閣し、竹下改造内閣では建設大臣を務めました。

 当選同期には、小沢一郎・羽田孜・渡部恒三・森喜朗・浜田幸一などがいます。小此木氏は1991年に当選8回で11月4日に63歳の若さで急逝しています。

 小此木氏の出馬した旧1区は、かつて存在した衆議院の選挙区になり、横浜市中区・西区
港北区・神奈川区・鶴見区・緑区が選挙区です。

小選挙区比例代表並立制の導入により旧1区の内、鶴見区・神奈川区は神奈川3区となり、三男の小此木八郎氏が出馬し、西区が含まれる神奈川2区(西区・南区・港南区)では小此木彦三郎氏の秘書経験者である菅氏が出馬し両者とも初当選しました。

話は官氏に戻りますが、国政に当選するまで前記小此木氏の秘書を11年間務め、1987年、横浜市会議員選挙に西区選挙区から出馬し初当選、その後市議を2期務めています。

横浜市政に大きな影響力を持っていた小此木氏の秘書時代に培った政財官の人脈を活かして辣腕を振るい、「影の横浜市長」と呼ばれたそうです。

前に書いた藤木企業の代表は1930年生まれで、1953年に早稲田大学政治経済学部卒業しています。一方の前記した故小此木氏は1928年生まで早稲田大学文学部哲学科を卒業しています。学部は違いますが同じ早稲田の同窓生になります。

藤木氏はもともと小此木氏と親密だった様で、その地盤を引き継いだ菅氏の有力な後援者になっているそうです。

今の藤木企業の代表は「藤木企業の二代目」になり稲田出のインテリです。港湾事業で、絶大な力を持っていて、地域への貢献が認められ、藤木氏は藍綬褒章や勲三等瑞宝章などを受章しています。又、地元の代議士、故小此木彦三郎氏とは、早稲田大学出身ということで親しく、その関係で長いこと小此木氏の秘書だった菅官房長官とは昵懇の様です。

「令和おじさん」こと菅官房長官が頭の上がらない「横浜の首領」は藤木企業・・・?

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