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同じ敗戦国なのに、ドイツは何故緊急事態条項がある?

今回は「同じ敗戦国なのに、ドイツは何故緊急事態条項がある」を書こうと思います。

 太平洋戦争に敗戦した後に連合国に占領された下で制定された日本国憲法について「押しつけ憲法」論があることはご存知だと思います。そこで気になったのが同じ敗戦国のドイツの事です。要は、ドイツも日本と同じような感じで、新たな憲法を「押しつけ」られたか?という問題デス。

 天皇や政府機構が存続した日本とは事情が違い、ドイツの場合は、ヒトラーが自殺して政権それ自体を連合国に否認され、国家の中央政府そのものがいったん完全に消滅してしまいました。

戦後のドイツは中央政府が完全消滅し、結果、日本と同じ様に占領軍の直接統治の状態になりました。現実には、各州レベルで統治機構を再建し、ドイツ人の人材を登用して、連合軍の指導のもとで運営させる形になりました。先ず、中央政府ではなく各州の自治組織が立ち上がって動き始め、そして中央政府のかわりにアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4ヶ国からなる管理委員会が設置されて全体の統治方針を決める立場となりました。

ところが東西陣営の対立が進み、1948年にソ連が管理委員会から離脱すると、米英仏3ヶ国の占領地域だけで国家を再建させることになり、ドイツの東西分裂に繋がりました。

1948年7月に米英仏の占領軍司令官は、管轄下にあるドイツの11の州に対して新憲法の制定を求める文書=「フランクフルト文書」を交付し、ドイツでは憲法制定作業が始められることになりました。専門家の委員会が基本法の草案を策定すると、1948年9月にボンで基本法制定審議会が招集され、審議が開始されました。
 
 その過程で、占領軍当局との調整も行いつつ修正を経たうえで、1949年5月8日、最終的に基本法が採択されました。なのでドイツでは、戦後のドイツの憲法制定の過程は、日本と同様に連合国の占領下で行われ、連合国の意思に反しないような範囲で行われたとはいえ、日本とは相当違う形になりました。

 翻って日本の場合は、占領軍からまず新憲法案を与えられて、それを政府が修正し、さらに帝国議会が審議・修正して決議する形をとったの事になります。対して、ドイツの場合は、自国でまず新憲法案を作成したうえで、占領軍との調整も行いつつ、自ら審議して、必要な修正も加えて採択したということになります。この過程がドイツと日本では決定的に違います。

 換言すると、占領軍の意思に反しない範囲で憲法を制定したという点では日本もドイツも同じですが、案そのものは自分で作って占領軍と必要な調整だけ行ったドイツの方が、日本より自主的な憲法だったと言えるのではないでしょうか?

 こうなった事は、ドイツの場合、戦前のナチスの台頭前のワイマール共和国時代に、既に民主的な憲法を制定した経験を持っていたという点も関係があるのではないでしょうか。

 この様な事から、ドイツでは日本が持たない国家緊急権という物が有ります。ドイツ国においてワイマール憲法48条には、大統領の非常措置権限として国家緊急権を定めていた。ヴァイマル憲法48条2項は次のような内容を定めていた。「大統領緊急令」と呼ばれる規定です。

 現在のドイツは、ドイツ連邦共和国基本法がワイマール憲法に代わってドイツ連邦共和国において憲法に相当する法律になります。

 1960年に連邦政府により、緊急事態に関する基本法改正案が提案されましたが廃案になり、その後、新たな基本法改正案が提出され、1968年に改正案が成立し、緊急権制度が導入されました。

ワイマール憲法のように緊急事態を包括的に規定することはせず、「国内の反乱や災害等の内部的緊急事態」と「外国からの侵略等の外部的緊急事態」に分けるとともに、外部的緊急事態については、緊急事態の程度と性格に応じて、「防衛事態」、「防衛事態」の前段階としての「緊迫事態」等に区分し、段階的な対処方法を定しているそうです。

 以上、非常に堅苦しい話になりましたが、同じ敗戦国で共にGHQの管理下で進められた憲法制定ですが、ドイツは緊急権を憲法に持ち、日本は持たない理由の様な気がします。ノシ
  
 違っていたらスマソ。草

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