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タクシーの自動ドア

 今回は「タクシーの自動ドア」を書こうと思います。

 何も書く事が思い付かなかったので、どうでも良いタクシーの自動ドアの事を描きます。orz

自分が子供の頃からタクシーは自動ドアだった様な気がします。今から、うん十年前からタクシーでは自動ドアがタクシーの標準装備だった様です。で、誰が開発し、その経緯が気になります。

 開発のきっかけは、巷では前回の東京五輪がきっかけととされている様ですが、どうも違う様です。

 開発したのは、現在も9割以上のシェアを持つ、「トーシンテック」という愛知県大口町に有る年商23億円の中小機械メーカーだそうです。

 当時のタクシーは、タクシー運転手は顧客サービスの一環として、利用客が乗降する際、いちいちクルマから降りてドアを開け閉めすることが多かったそうです。又、昭和30年代初期、タクシーの大半は「 小型車 」で、客がドアの開閉をしたいたそうですが、閉め忘れると、ドア小型の為、運転席から手を伸ばして、ドアを閉めていたそうです。当時から「ドアサービス」があったなんて初めて知りました。草

 しかし昭和35年国産の中型車が登場し、車内も広くなり、タクシーとしても使われ始ると、タクシーが中型化により、車が大きくなり、客がドアを開けっ放しにすると、運転手はドアに手が届かなくなり、ドライバーには、閉められなくなってしまった様です。そんな、ドライバー達の願いから当時、整備士をしていた方が、自動で開閉出来るドアを考案され、それが今の「 機械式( レバー式 )」だった。という説が有る様です。

 いずれにせよ、その後の昭和39年の東京オリンピックに備えて、タクシーが増やされたのをきっかけに、「タクシーの自動ドア」も、一気に、全国へと広まった様です。

 余談ですが、もともと日本では自動ドアが登場するまでは、タクシーでは助手席に助手が乗っていて、その助手がドアの開閉を行い、乗客が乗り降りするというサービスが行われていたとも説が有りますが・・・当時すでにトヨタなどがタクシー車両を提供していましたが、これは、当時のタクシーはトラックシャシー+セダンボディであった様で、当時でタクシー仕様に耐えうる耐久性を出すにはトラックシャシーベースしか選択肢はなかったそうです。そのなかで登場した初代クラウンで、観音開き式ドアを採用していました。この観音開き式ドアの設計は、この助手の作業を軽減するためというのは、有名な話となっているそうです。又、日本初の純国産乗用車”として登場したクラウンは、“日本のタクシーを純国産乗用車”にしたいとの思いで開発されたそうです。

 そうすると、前回の東京五輪前は、「ドライバーが降車してドアサービス」を行っていた車と、助手が同乗して「ドアサービス」を行っていた車、及び黎明期の「自動ドア」の車が有った事になります。・・・どうなんでしょう?

 昭和39年までは、タクシー後部ドア開閉のカオス期の様です。

 何れにせよ。前回の東京五輪で飛躍的に自動ドアが普及した事は間違えが無さそうです。

 コンフォート教習車に自動ドアを付ける場合は、価格は、レバー式、エアー式ともに工賃を含め約10万円とネットには記載が有りますが、トーシンテックのホームページには、タクシー自動ドア価格が表記されていません。が、ケイテック株式会社という自動車修理サービス · 自動車販売 · 自動車パーツ販売を行っている会社では、車種希望小売価格(取付工賃別)で85,000円~98,000円で販売されえています。マイカーもOKデス。草

 本当にどうでも良い話でした。ドアを開ける時は、後方を確認し、先ず10㎝位明けてから開けた方が良い様な気がします。最初から御開帳すると危ないし、増してや風が強いと速攻持って行かれます。・・・

 客の足を挟んだとか、客にドアを開ける時ぶつけたとかは、割と聞く話です。ドアの開閉には・・・ご注意有れ。草

 クッソつまらない話のとき程、長くなってorz

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